明治の造り酒屋 小林酒造 (栗山町)

画像老舗の造り酒屋の公開を、新聞で知ったのは7月だったろうか。

いつか行こうと思っていた。電話予約が必要と書いてあったので、予約をして行く。

30~40分ほどで着いた。

夕張川を渡ったらレンガ造りの建物群が、群といっても多くはないけれど、見えた。


新聞の記事より拝借。

道内有数の老舗造り酒屋、小林酒造(栗山町)の創業家の人々が住み続けた小林家住宅が10日から一般公開される。117年の歴史を刻む国の登録有形文化財で、酒造りを支えた創業家の妻たちの華やかな中にも質素な暮らしぶりがうかがえる。

「男は酒を造り、女たちは家を守った」

画像3代目小林米三郎氏の長女、千栄子さんは創業家の暮しをこう話す。千栄子さんは住宅公開の原動力となった。

小林家は新潟県から道内へ渡った。初代小林米三郎氏が1878(明治11)年に札幌で創業。その後、夕張で働く炭鉱労働者への販売をにらんだ酒造りを、と栗山町へ移った。

日本酒「北の錦」が小林酒造のブランド。




小林家の住宅は1897(明治30)年に建てられ、木造一部2階建てで計23の部屋がある。来客をもてなす客間には朱塗りの酒器が並び、トイレは壁が鮮やかなタイル張りで便器は陶器製。

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だが、妻たちの暮しぶりは違った。2代目米三郎の妻チノさんは、着物がすり切れても使える部分は切り取って保存。衣類の当て布などに使った。玄関をくぐると、チノさんが残した千枚以上の歯切れが縫い合わされ、飾られている。

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なぜか古いお金持ちの家には、古い教科書が保存されている・・・

今の時代からみると簡単な勉強のような気がするけれど、広い意味での情報が乏しい時代には、難しかったのでしょうね。


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画像千栄子さんが創業家の住宅の公開に踏み切ったのは、父が2011年に亡くなり、住宅の維持管理が重荷となったからだ。

中学校の教員だった千栄子さんは今春で退職。歴史ある造り酒屋の住宅を守る取り組みを始めた。一般公開では、千栄子さんらが説明役をつとめる。

見学は一人千円。住宅の維持管理費に充てられる。

お茶と和三盆の手作りお菓子が付く。


♪なめらかな説明に、上手だな~と思って聞いた。元教師だったんですね。

画像 おじいちゃん(二代目)とおばあちゃんはとても厳しく、さらに両親も厳しかったそう。
 千恵子さんも弟さんも、夕張川から拾われてきたのかと思ったと笑わせた。

 仏間が立派で、とても信心深かったそう。
 
 2代目の時の夕張炭鉱の好景気に、北海道でも5本の指に入るほどだったという。だから?泣かせたこともあったらしいと。

 何の間だったか・・・芸者さんと扇子を放って遊ぶ御座敷遊びもしていたという。

 炭鉱が閉山してからは落ち込みがひどかったと。

 今春まで母親が一人で暮らしていたのだけれど、もう無理ということで、家族会議の結果、公開に。

 蔵の鍵の大きさにビックリ!

 先代は古美術を好み、2代目は洋風を好んだとか。そのせいか、古い絵と洋風の絵が混然と飾られていた。母親の希望で、今まで飾られていたとおりにと、そのままにしてあるそうな。

室内はひと部屋しか撮影がオーケイにならず、残念でした。是非、タイルのトイレを撮りたかった。


画像向かいのお蕎麦屋さんで、鴨南蛮の田舎そばを。

美味しかったです。

お店の雰囲気も人も、いい感じでした。






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