忖度とも違うな~

画像結社には、二ヶ月に一度九首を提出する。

怠け者なので、毎月二回の例会に出す四首と投稿する一首くらいしか詠んでいない。

なので、詠んだほとんどを提出しなければならない。

今月の初めに送るとき、入れたい歌があったがためらった。

自分では気に入っていたが、例会で先生や大先輩から「これではわからない」と言われ、直された歌だった。

直される前のままで出したかったが、先生は結社の選者をされているので、先生に失礼かなと思い・・・・

いや、忖度ではなくて、自分が可愛いいということなんだよね~


画像ある先輩は、先生から直されても「いや、このままで」と譲らなかったことが何度もある。

先生に近い年齢で、頭脳明晰な先輩だから、我を張れたのでしょう。

若い??私にはそんな勇気はないな~~

先生は忘れっぽくなったので、結社には次々々回くらいに紛れ込ませようっと!

先生は毎号二、三人の歌を取り上げて批評や感想を書かれておられるが、今回は先輩と私の歌だった。

厳しかった先生が、身内に甘くなった・・・




今年は忖度という言葉が飛び交っていたが、正しい使われ方が新聞に載っていた。


国語学者  金田一秀穂さん  「常識」失われ変な方向に

    

日本語には、忖度、斟酌、「阿吽の呼吸」など、言語化されないコミュニケーションを表す言葉がいくつもあります。島国だからか、互いに共有する部分が大きく、言葉にせずにすむものが多い。

忖度は、下の人が上の人の気持ちを推し量るものです。

石田三成が秀吉に3杯のお茶を少しずつ温度を変えて出し、気が利くと認められたという逸話なんかがいい例ですね。

下の人がやるだけではだめで、それを上の人がきちんと感じ取ることで、忖度が成り立つわけです。

日本語には曖昧な部分が大きいので、言語化されない状況や文脈が察するという小さな「忖度」を日常的にやっているわけです。

日本語が特殊だからだ、他の言語はそんなことはないという人がいますが、自然言語は曖昧にできているのが普通です。それが成熟した言語なんですね。




武者小路千家家元後嗣  千宗屋さん    相手推し量る本来は美徳


相手のことを推し量る忖度は、本来、日本人の美徳です。ひだのある深い心遣いのはずで、最近の使われ方には違和感があります。

茶の湯は、忖度の連続と言えます。茶人の松平不昧に「客の心になりて亭主せよ、亭主の心になりて客いたせ」という言葉があります。

千利休にまつわる逸話があります。

高名な茶人、津田宗及が雪の夜、急に訪ねてきたときのことです。

談笑していると、裏口で物音がして利休が席を立った。亭主として家の者にわざわざ名水をくみに行かせていたのです。

そこで宗及は、棚から炭斗(すみとり)を出して炉の火を直した。

そこに利休が水の入った釜を持って戻ってくる。本当は自分が整えるはずの火が整っている。利休は釜をかけるだけでいい。

おもむろに「あなたほどの茶人を迎えてこそ湯を沸かし茶をたてるかいがあります」と言った。

宗及が「では火を直しておきましょう」とか言っていたら、おもしろくありません。むしろ好意の押し付けになりかねない。あえて言葉に出さず、気を働かす。すごい緊張感ですが、それで互いの心がぴたっと合うところに茶人の意地があります。

気配を察するとか行間を読むとか、表れたことの間に潜んでいるものに本当の価値を見出すのは、本来、日本人の根源的な考え方です。

実体のないものの大事さをみんな肌で分っていて、あえて言わない。日本人の文化感、自然観、宗教観を貫いている感覚だと思います。



ドイツの政治学者   ヴィルヘルム・フォッセさん   先回りした服従悲劇生む

ドイツには「フォラウスアイレンダー・ゲホルザム」という言葉があります。忖度と同じように、訳すのは難しいですが、直訳された服従という意味です。なぜホロコーストという大量虐殺が起きたのかを説明するときによく使われます。

法律や社会のルールを守り、税金を納める。家庭ではよい息子、よい娘で、褒められたい。周囲に波風を立てないような隣人で、異議を唱えようとしない態度が、結果として非人道的な悲劇を生む土壌となったのです。

日本の政治と社会の研究を30年以上してきました。日本とドイツは似ています。まじめで時間を守り、先回りして自主的に服従します。

ドイツの戦後と日本の戦後もある時期までは非常に似た道をたどったと思います。ドイツ人は独裁の被害者として、新しい国の再建に全力をつくしました。保守政権が続き、ドイツ車が世界を走るようになり、1954年にはサッカーのワールドカップで西ドイツが優勝しました。

自信を取り戻しつつあったドイツ人に大きく影響したのが、68年から世界を覆った若者の反乱でした。

きっかけは米国のベトナム反戦運動です。日本でも、日米安保体制に対する反対や大学制度を見直す運動があり、環境運動などその後の市民運動にも様々な影響を与えました。

ドイツでは若者たちが、教授や親の世代が戦争中に何をしていたのかを問いただす運動に発展したのが大きな特徴でした。

「ガウンの下のホコリ」。第三帝国を、「千年王国」と称したナチスとの関係が、大学教授の着るガウンの下に隠れていないか。過去を自白の下にさらそうという動きが、社会全体に大きく影響を与えました。

民主的だったワイマール体制がヒトラーの台頭を許してしまったのは、制度の欠陥ではなく、民主的な思考と行動をする市民が足りなかったの理解が広まったのです。

それまで先回りして服従するのがよい市民だとされてきた考えから、疑問を公的に発する成熟した市民になることが重要だという考えが共有され、意識が変わったのです。

日本はそうなっていません。

この意識は国の発展も左右するでしょう。

工場で高品質の製品を大量に作るには、波風を立てず、仲間や上司の期待に応えることが役立ちます。それは日本でもドイツでも証明されてきました。

しかし、世界は新しい価値やそれまでになかったサービスや商品を生み出す大競争の時代に入っています。摩擦や対立を恐れず、多様な意見や価値を認め合う社会的な基盤は民主主義を存続させるだけでなく、経済的な競争の側面からも、求められています。




20歳離れた兄は、戦争時代、国民同士が密告しあったり、戦争に向かって高ぶっていたと話してくれた。

人間の心理には、自ら洗脳されてゆくような、そういうものが内包されているのかもしれない。

一人のときには考える、理性を持たなくちゃね。






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