ポーランド 7 クラクフ歴史地区 ヴァベェル城と大聖堂
クラクフがポーランド王国の首都として栄えた時代は、王国の全盛期と重なる。1386年から1572年まで続いたヤギェウォ王朝の時代である。当時のクラクフは、神聖ローマ帝国の一部であるボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並ぶ中央ヨーロッパの文化の中心であった。
旧市街の南、ヴィスワ河半の丘に華麗な姿を見せるヴァヴェル城には、歴代ポーランド王が住んだ。
ポーランドのほかの都市が第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けたなか、クラクフが戦災を免れたのはここにドイツ軍の司令部が置かれたためだという。
「ワルシャワが東京とすればクラクフは京都」ともたとえられる歴史的な町並みは、1978年にユネスコの世界遺産に登録されている。
ヴァヴェル城や旧市街をはじめ町全体が中世のたたずまいを残し、しっとりとした古都の趣が薫りたつ。(「地球の歩き方」より)
♪クラクフの町に入ったとき、聖地とも違う、「品格」が伝わってきた。
添乗員さんから、かつて首都だったと教えていただき、納得した。
メモを取らなかったので、記憶があやふや・・・・
聖マリア教会
中央市場広場に面する聖マリア協会は、1222年に造られたゴシック様式の大きな建物。ステンドグラスや聖堂内の芸術品は国宝に指定されている。
特にヴィオット・ストウオシ祭壇は一見の価値がある。
12年の歳月をかけて作られたヨーロッパ第2位の高さを持つ木造彫刻でできている。聖堂内はいつも祈りを捧げる信者でいっぱいだ。
その昔モンゴル軍がクラクフを襲った際、敵襲を告げるラッパがこの教会の塔の上から吹き鳴らされた。しかしモンゴル兵の放った矢がラッパの手の甲を貫いた。そのことを悼んで、今でも1時間ごとに塔の上からラッパが吹き鳴らされる。
あたりが闇に包まれ喧騒の消えた広場で聴くラッパの音は、胸に染み通るような味わいがある。
真ん中の上の窓の光っているのがトランペットです!
大きな拍手を浴びていました。
ヴィット・ストウオシ祭壇ヴィット・ストウオシ祭壇は聖マリア教会の内部を支配している。その素晴らしい聖マリアを擁する、ヴィット・ストウオシ祭壇は、1477年~1489年間に、クラクフの小市民の基金で作られたもので、そのような祭壇のなかでヨーロッパ一の大きな名作である。
11×13メートル、写実的に描かれた人形の高さは約2.7メートル。オーク材(構造)としなの木(彫像)で作られている。
♪すばらしかった!ローマのサンピエトロ寺院の規模には遠く及ばないけれど、色とかデザイン?にはとてもひきつけられた。


私たちのおしゃべりを聞いていた日本人の男性から声をかけられた。ツアーの75歳の闊達な方は、「こんなところで仕事何してるの?」とはっきり言って大笑いした。
この日は快晴だった。
旧市庁舎 ショパン関係だったような・・・?


広場で演奏していた。アマチュア??
外国の人の年代はわからないけれど、30代くらいにみえた。
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