ポーランド 8 アウシュビッツ (オシフィエンチム)

「働けば自由になる」

Bの文字が逆さまなのは、せめてもの抵抗だとか・・・

画像


地球の歩き方より拝借 (囚人という表現が気になる・・・)


画像第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ占領下の土地からはユダヤ人、ポーランド人、ロマ、共産主義者、反ナチス活動家、同性愛者などが捕らえられ、各地に設けられた強制収容所へ送られた。

あるものは即座に殺され、あるものは過酷な労働に従事させられた末に殺された。

殺人工場ともうべきこの強制収容所が、クラクフの西54キロのところにあるオシフィエンチム郊外にあった。ドイツ名は「アウシュビッツ」。



画像ここでは28の民族、150万人以上の人々が殺されたといわれている。

現在この強制収容所跡地は、博物館として公開されている。

サービスセンターから順路の標識に沿って少し進むと、収容所の入り口だったゲートが見えてくる。「ARBEIT MACHTFREI(働けば自由になる)というスローガンが掲げられたこの門を、収容者たちはどんな思いでくぐったのだろうか。




画像収容所内には28の囚人棟があり、一時は2万8000人もの囚人が同時に収容されていたこともあったという。ここで何が行われていたのか、残された証拠が語っている。


「死のブロック」と呼ばれた11号棟は、ほぼ当時の姿をとどめているという。臨時裁判の判決を待つ囚人たちの監禁室、鞭打ち台、移動絞首台、囚人をつないだ杭のほか、飢餓室、立ち牢などが残されている。この11号棟と10号との間にある壁は「死の壁」と呼ばれ、銃殺に使われた。





画像元囚人棟だったほかの建物では、収容者から没収した生活用品が公開されている。

おびただしい量の衣服の山、身の回りのものを入れてきたトランク、ブラシ、靴、さらに遺体から取り外された義足や義手、眼鏡まである。

収容所に着いてすぐに撮る証明写真など一つひとつが訪れるものに悲惨な歴史の重みを感じさせる。


 「世界の歴史と文化」中欧より拝借↓

オシフィエンチム(アウシュビッツ)を訪れることは、重く、息苦しい体験である。私たちは、なぜこの恐ろしい場所に立たねばならないのだろうか。一人の生存者の言葉を引いておこう。

「アウシュビッツよりさらに恐ろしいのはたった一つしかない。それは人類がそのような場所が存在したことを忘れてしまうことだ」(ヘンリー・アペル)


東日本大震災があった後、大昔の大地震から、これより下に家を建ててはいけないというような碑があることをテレビで見た。

長い年月は・・・・

核のごみとやらだって・・・・


 メモを少し取ってあるのだけれど、あまりにも断片的で理解できない・・・・

「シンドラーのリスト」や「ライフイズビューティフル」などの映画、それにテレビでみて、多少の事は知っていた。

老いも若きも終始無言だった。


チクロンBというガスを使った。                    ガス室に花が

画像画像















ちょっとニヒルな日本人男性ガイドさんは、髪の毛の山は撮らない方がいいでしょうと冷静に言った。

画像画像


















画像画像

















画像祈りを捧げるユダヤの人たち。


メモに、 ミュンヘン ダッハウ1933とある。

最初の強制収容所。後のモデルになったところ。

西ヨーロッパ中心の考え。
ジプシーやユダヤ人を疎外。

非人間的な過酷なことは、生きる権利と引き換えにユダヤ人にさせていた。



この記事へのコメント

この記事へのトラックバック