北海道ではなく「北加伊道」

画像 新聞より拝借

ことばの広場  校閲センターから


アイヌへの敬意と配慮

かつて蝦夷と呼ばれた地が、北海道と命名されて今年で150年目。名付け親は、幕末の探検家、松浦武四郎です。

松浦は伊勢(三重県)出身で、ロシアの脅威が迫る北方の実情を調査しようと自ら蝦夷や千島、樺太を探検しました。

維新後、蝦夷の事情に詳しいことから、明治政府の一員になります。

北海道庁などによると、蝦夷は異民族を意味するため、明治政府は新名称を審議。その際、松浦は古典やアイヌ語などから幾つか考案し、最も推したのが「北加伊道」でした。

先住民のアイヌの人々はお互いを「カイノー」と呼んでいました。松浦はアイヌの長老から「カイ」はこの土地に生まれた者、「ノー」は尊称であると聞きました。

また熱田神宮の歴史を記した「参考熱田大神縁起」には「東国で暮らす人々は自らの国を加伊と呼ぶ」とあり、北加伊道こそ、この大地にふさわしいと考えたのです。

結局、王政復古を掲げた明治政府によって、律令時代の七道にならい、水戸藩主・徳川斉昭らが唱えていた「北海道」と定められました。1869年8月のことです。

松浦は国名(振興局、総合振興局の原形)や郡名の選定にも関わっており、それまでの貢献によって命名者として名を残しました。

高橋英雄・松浦武四郎記念館元館長は「北加伊道という名称には、アイヌへの敬意と配慮が込められていたと思います」と言います。

「北海道は彼の本意を汲み取ったものではありませんでした」

高瀬さんによると、松浦は当時の日本人のアイヌ民族への差別、横暴といった非道さを告発しました。

しかし明治政府は無視し、「差別政策は残したままで、アイヌと協力しようとしませんでした」と言います。

松浦は政府の役人をわずか半年あまりで辞しました。その後、著書などでは皮肉を込め、「馬角斎(ばかくさい)」と名乗ったそうです。
                                                     (中島克幸)


☆北海道の「海」もともとの字の「加伊」は「アイヌ」なり武四郎の大空
                                            京都市の男性の短歌



画像Wさんからいただく。

元玉ねぎ農家の方なので、上手!

ご主人は、畝の線を引くとき、真っ直ぐにされるとのこと。

新鮮野菜も嬉しいが、Wさんの才気煥発な刺激が活性化させてくれそうで、感謝している。

いくつになってもいい出会いがあるものだね。

Wさんの文字が大好きなので、歌に詠んだ。

ササゲ(ギ)の天ぷらもおいしいが、玉ねぎの天ぷらも好き!


画像Mちゃんが貰い物だといい、お稲荷さんとごぼう飯の素を届けてくれた。

どうしているかな~と気になっていた。

以心伝心だね。

菊の葉っぱと大葉は庭から。

ピーマンがなかったのでパプリカを揚げたけれど、まぁまぁ・・・



この記事へのコメント

2018年09月06日 17:29
大地震、お見舞い申し上げます。今朝メッセ送信しましたが停電で読めないですね。
復旧など相当時間がかかり不安負担の毎日でしょうが頑張ってください。
2018年09月06日 20:45
ご心配いただき、ありがとうございます。
たった今電気が通りました。
幸い水道やガスが使えました。釣りが趣味の夫は、発電機を持っていました。
大きな揺れに、もっと大きくなるのではないかと思い、相当かなり、驚きました。
目黒さんも精力的に写真をアップされ、お元気そうで何よりです。
2018年09月07日 12:29
お知らせ有難うございました。あまり被害が無くて何よりでした。
発電機が役立って幸いでしうたね。
3年あまり、不自由になっていますが、家人が連れ出してくれるので
リハビリの花散歩にお出かけします。視力がないので花の表情など見えないのが
残念ですが頑張っています。
困難を乗り越えて元気にお過ごしください。
2018年09月08日 12:53
目黒さんの花の写真は心が写るらしく、きれいですよ!
いいご家族に恵まれ幸せですね。
お互いに元気でいたいですね。

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