「基本的歌人権」?

画像結社の歌集より・・・

平成30年12月号の歌壇時評に、「基本的歌人権」という言葉があった。

結社「心の花」の120周年記念号によると、ある歌について穂村弘が、「いいところでいいものを拾いすぎている」と発言した時、「今は歌会ではそういう批評はなしなんですよ」と言われたショックを明かしている。

基本的人権ではないけれど、基本的歌権の尊重みたいな空気があり、こう書かれているんだから、という暗黙の前提に立って、読み合うのが歌会の批評だというんですよ」と。

「基本的歌権」について、10月号の古谷円の言葉。

〈若い歌人の歌会は「読み」を競う場となっているようで驚く。歌会では〈穂村〉のように、発想の必然から問うような、身に痛い批評の方がその後の歌作に役立つ。読むとは上手に理論と論理の違い読み解いてあげることだけなのか。

そうは思えない。まともな批評を言ってもらえず、適当に褒められることこそ、基本的歌権を侵されているというべきだろう」と。

・・・・

結社の方は、

批評する際の「作品中心」とするか、「作者中心」とするかの問題なのだろう。

悩ましいテーマだが、どちらかに分けるのではなく、「批評のさじ加減」などと言うのは、楽観的過ぎるだろうか。

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歌会に参加するということは、「作品中心」だと思うけれど・・・

作品の中には作者がいる。

「短歌界のために作っているわけじゃない」という人もいるとか・・・


わが会では、前任の講師に代わっていただいた方は、「・・・こう変えてみたら・・・?」というように、具体的に試案も伝えていた。

私も発言する時には真似ている。

画像テレビの「プレバト」を心待ちにしている。芸能人の俳句ほかを査定ランキングしている番組だ。

夏井いつきさんの理論的な毒舌の解説が魅力的だから。

「空を見上げ・・・」なんて作ろうものなら、「見上げない空があったらもってこい!」と叱る。


頭に刻まれるように伝えているのがスバラシイ!

https://hatigatunokujira.at.webry.info/201807/article_6.html

出演者の皆さんが、初めよりも格段に上達しているのが伝わってくる。

最初はドキッとしそうだけれど、”厳しい派”が好きで、穂村弘のように言ってほしい。

でも、「いいところでいいものを拾いすぎている」という言葉を、すぐには咀嚼できそうにない。

天性に理解力のある方や長く詠まれて来た方には、届く言葉かな・・・

「いいところで・・・」と言われた人は、若い方だったのだろうか?

全体に若い人は、怒られたり叱られたりする機会が少ない時代に育ったと思う。



長男がお腹にいた頃、「欧米の育児は褒めて伸ばす。日本の育児は欠点を直す」と新聞で読んだ。

私は欧米式で・・・と心に誓ったが、息子たちには怒っていた・・・

育児と学び事は別か・・・



画像例会   新聞に

震災を受けし安平の田畑いま見渡す限り菜の花盛り

国花なる桜(はな)咲きあふるる五月なり令和となりし元号の佳し

戦争もなく平和なる日本に不穏な音がかすかに聞こゆ

姦しく令和の合唱いつの日か右向け右に戻りはせぬか

涙目を号泣と書く週刊誌 枕ぬらしたひと月のあり

母さんの足跡踏みて歩いた日新雪だったね足あとひとり

夏祭せがんで買ってもらいしよ赤や緑のひよこピヨピヨ

華やかに花は競ひて咲くけれどわれは支えの岩八手なり

☆いづかたへ措きても細き影ならむ生れ月なり立華を掬う  

        花はHさんの「岩八手」  (丹頂草)


いつかきっと、先生のような歌を詠みたいと思ってきた。

できそうにない・・・

芸術は模倣からと聞いたが、短歌も真似てみたら、いつか念願の一首くらいはできるだろうか。





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